[All:501] 監督の“ひとり言”2018?

監督の“ひとり言”2018?先日、元プロ野球選手で、国民栄誉賞を受賞した衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が、大腸がんのため71歳 で亡くなった。衣笠は、プロ野球記録の2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれ、75年に広島のセ・リーグ初優勝に貢献し「赤ヘル旋風」を巻き起こすなど黄金期を支えた日本を代表する名選手である。衣笠に関する逸話は無数にあるが、下記にその幾つかを記す。■プロ成績1947年1月18日生平安校出身(京都市)プロ入り1965年右打右投内野手(三塁手、一塁手)175cm、73km2,543安打(歴代5位)504本塁打(歴代7位)161死球(歴代3位)2,215試合連続出場(世界2位)678試合連続全イニング出場(歴代3位)17度全試合出場(歴代1位)どの数字も「鉄人」と呼ばれるのに相応しい成績だが…意外なことに、衣笠は足も抜群に速く、1976年には「盗塁王」を獲っている。「2,500安打+500本塁打」は衣笠を含めて歴代に5人いるが、「500本塁打+盗塁王」は衣笠1人だけである。■逸話?死球2回+本塁打1976年8月31日の中日戦で、3回にピッチャー金井からプロ野球史上初の1イニング2死球を記録したが、5回に回ってきた次の打席で金井から本塁打を放った。全く死球を恐れない衣笠らしい逸話である。?西本聖(元巨人)から受けた死球骨折衣笠の通算被死球161は、日本プロ野球史上3位だが、振る舞いは非常に紳士的だった。どんなに危険で痛い死球を受けても、怒るどころか「いいよ、大丈夫だから」と逆に相手投手を気遣いながら一塁へ向かう。 特に、巨人・西本聖から受けた骨折死球の逸話が有名だ。1979年8月1日の巨人vs広島。西本が先発し、7回表まで7?1で巨人が大量リード。この展開の中、シュートピッチャーの西本(プロ入り5年目)は右打者のインコースを厳しく攻め…三村と萩原に死球を与え、この後、あろうことか連続試合出場記録を続けている衣笠の左肩にぶつけてしまった。当然、両軍の選手がベンチを飛び出し乱闘騒ぎに…普通なら投手である西本へ突進するところだが、広島の選手はキャッチャー吉田へ向かって行った。そこで西本は、打席で倒れていた衣笠に走り寄り「すいません」と謝る。すると、衣笠は「俺は大丈夫。それより危ないから早くベンチに帰れ」と言って西本を逃がしたのである。試合後、西本は衣笠の自宅に謝りの電話をかけたのだが「大丈夫だから、俺のことは心配するな。それよりお前は大丈夫だったか?」と逆に気遣う。西本は「なんて人格者なんだ」と感動したと言う。そして、翌日、骨折している身体の中、代打出場した。結果は、巨人・江川から3球フルスイング空振り三振を喫したのだが…試合後に語った談話が格好良い。1球目はファンのため2球目は自分のため3球目は西本君のために、バットを振りました。?江夏の21球の裏話広島が初の日本一に輝いた1979年、近鉄との日本シリーズ第7戦。広島1点リードの9回裏、クローザーだった江夏氏が無死満塁の大ピンチを渾身のピッチングにより、見事に抑えてみせた「江夏の21球」が伝説となっているが、それにはこんな裏話がある。広島ベンチは、延長に備えてブルペンに投手に準備をさせていた。これを見た江夏が…「この野郎! 何でオレの後に投手をつくるんだ!」と完全に冷静さを失っていた。ここでマウンドに歩み寄ったのが、一塁を守っていた衣笠であり、この衣笠からの一言が無かったら「江夏の21球伝説」は起こらなかったであろう。憤慨する江夏に掛けた衣笠の一言。「もしお前がこのチームを辞めるなら、オレも辞めてやる」そう声をかけられた江夏氏は「生え抜きのサチが、外様の俺のために…」と大感激したという。この一言で落ち着きを取り戻した江夏は、カーブの握りのままスクイズを外す冷静なピッチングにより、無死満塁の大ピンチを無失点に抑え、カープが初の日本一に輝いたのである。あの名場面を生んだのは「あの苦しい場面で自分の気持ちを理解してくれるやつが1人いた」とピッチャー江夏を冷静にさせた“衣笠のおかげ”と言ってよいだろう。?連続試合出場記録衣笠は、自身が連続試合出場の世界記録を更新した時…「いつか、誰かにこの記録を破ってほしい。この記録の偉大さが本当にわかるのは、その人だけだろうから」と語った。衣笠の記録はアメリカでも非常に高く評価されており、現在でも「キヌガサ」は、アメリカで最も名前の知られている日本人野球選手の一人である。そして、1996年6月14日にカル・リプケン・ジュニア(オリオールズ)が記録を更新した試合に、来賓としてアメリカに招かれた。もちろん、球場全体から大喝采を浴びたことは言うまでもない。P.S.衣笠は「完全なる猿顔」で、お世辞にも格好いい風貌ではないが、その生き方はメチャクチャ格好いい男だったと思う。また一人、昭和の名選手がいなくなり、「昭和大好き人間」の私としては本当に寂しい限りだが…衣笠のような人格者になれるよう、日々、精進していきたい。By 平山