[All:539] 監督の“ひとり言”2018?

監督の“ひとり言”2018?最近、私が気になった話が幾つかあったので、以下に紹介します。■平石 洋介(東北楽天イーグルス監督代行)先日(6/16)、東北楽天イーグルスの梨田監督がチーム不調の責任をとって辞任したのだが…これを受けて、翌日から平石洋介が監督代行を務めることになった。平石は、同志社大→トヨタ自動車→楽天イーグルス(ドラフト7位)で入団したものの、現役時代は1軍に定着できずに引退したので、この男をよく知る者は少ないかもしれないが…実は、高校時代には超コアな野球ファンの中では有名人であった。平石は「松坂世代」で、あの強烈に強かった1998年の横浜高校の絶対的エース・松坂 大輔を唯一苦しめたPL学園のキャプテンだった人である。この年の高校野球ベストゲームといったら、夏大会の準々決勝(横浜高校 vs PL学園)の延長17回の死闘が挙げられる。横浜 000 220 010|01000012 9PL 030 100 100|01000010 7「伝説の試合」である。エース松坂が250球を投げ 、9:7で横浜高校が激勝したこの試合だが、松坂は試合序盤にPL学園に打ち込まれてしまった。他高校をほぼ完璧に抑えてきたのに、なぜ松坂大輔はこの試合でPL学園に打たれてしまったのか?理由は、背番号13番のキャプテン平石の3塁コーチャーの働きによるもの…というのが通説である。平石は「松坂が投げる球種はわかっていた」という。小山捕手の構えのクセを見抜いていたのである。そして、平石はストレートなら『いけいけ』、変化球なら『狙え狙え』と1球ずつ叫んでいた。ところが、平石の本当の狙いは別のところにあったという。自分の声出しは、この超満員の甲子園の中ではバッターには届かないかもしれない。でも、松坂―小山のバッテリーを動揺させることができれば…松坂は、後に「この時の平石の声がマウンドではっきりと聞こえていた」と語っている。平石のねらいは的中した。小山捕手は松坂が打たれる理由がわからず動揺し、その後「平石の声」に気づいたものの…横浜ベンチは相当あたふたしてしまった。結局、この試合は底力に勝る横浜高校が勝利したのだが、もしPL学園が勝っていたら、間違いなく3塁コーチャー平石のおかげだったと言えるだろう。まだ38歳の若さで東北楽天イーグルスの監督に就いた平石という男…私が大好きなタイプの男に違いない。(^_^)■ロベルト・レヴァンドフスキ(ポーランドのエースストライカー)現在、ロシアW杯にて日本代表が予選Hグループを戦っており、その3戦目でポーランド(世界8位)と戦う予定であるが…そのポーランドに、レヴァンドフスキというエースストライカーがいる。このレヴァンドフスキという男、敵ながらあっぱれ…という男なので、その概要を以下に紹介する。ポーランドという国は、元々は共産主義国家であり、1987年に民主化されたものの、まだロシア軍が駐留し、膨大な借金と経済危機が深刻化していた。そんな時代にレヴァンドフスキは産まれ、小学2年の時に地元の小さなサーカーチームに入団したのである。だが、身体は同級生の中で一番小さく、誰一人としてレヴァンドフスキのことを才能豊かな選手とは見ていなかった。でも、レヴァンドフスキは、凸凹のグランドで日々、サッカー練習に明け暮れて…当時を知る多くの者が、口を揃えてこう証言する。「奴は、自分が納得するまで練習を止めなかった」レヴァンドフスキも自身のことを…「楽しんで努力する才能に恵まれた」と言っている。その後、15才の時、地元のプロサッカーチームの下部組織に入団したのだが…。程なくして、一家の大黒柱だった父親が病気で他界してしまう。そして、自身も実力不足を理由にチームからクビを言い渡されてしまった。母親と姉を支えるためには、サッカーを続けるわけにはいかない。と、悩みに悩んだレヴァンドフスキだったが…結局、レヴァンドフスキは最後のチャンスを掛けて、ポーランド3部リーグのプロサッカーチームにチャレンジした。当時を振り返る自身の言葉は…「こんなところでは終われない」の一言だそうだ。その後は、1年毎にしっかりと結果を出して、どんどんビッククラブへと昇格し、今はドイツのバイエルンミュンヘンのエースストライカーとなっている。もちろん、ポーランドの大黒柱でもある。というより、世界一のストライカーと言って良いと思う。9分間で5得点 というギネス記録はともかく…世界一のサッカー選手として高く評価されているメッシ(アルゼンチン)やロナウド(ポルトガル)と比べても全く遜色がない。直近2年間の成績を比べても…メッシ  114試合102得点ロナウド 110試合105得点レヴァンドフスキ 110試合99得点地元の小さなグラフでさえクビにした選手だったレヴァンドフスキが、どうやって結果を出しまくったのかはわからないが…一つ言えることは、「メンタルの強さ」「努力できる才能」が、大きな要因であるに違いない。もちろん、日本代表に勝って欲しいとは思っているが、このレヴァンドフスキにも活躍してもらいたいと思っている私は非国民だろうか。(^_^)■サディオ・マネ(セネガルのエースストライカー)明後日深夜に行われるロシアW杯予選Hグループ第2戦の相手、セネガルという国にはマネという強烈なストライカーがいる。このマネという男の「セネガルの貧しい少年がリヴァプールのスターになるまで」という出世物語はとても有名だ。マネは15歳の時、おじさんに連れられて約800キロ離れたダカールで行われたトライアル(プロテスト)を受けた。その時のエピソードが面白い。そのトライアルの際、幾つかのグループに振り分けられていったのだが…年上のある男の人に『場違いなところに来たな』というような感じで見られ…『テストを受けにきたのか?』と聞かれた。そして、僕の靴を見て『その靴はなんだ?』と聞いた。『そんな靴でプレーするのか?』マネの靴はボロボロだった。(ほぼサンダル状態…)それから『それにその短パンは何だ?』とも聞かれた。『ちゃんとしたサッカー用のショーツをもっていないのか』マネは『なんだコイツ』『一番いいウェアを着てきたのに…』と思った。そして、一生懸命にサッカーのプレーを見せたのだが…その人は明らかに驚き、『君をすぐに連れていく。私のチームでプレーさせる』と言った。今や「小さなダイヤモンド」と称されるリヴァプールの大スターだが…今もとても謙虚なのだそうだ。この男にも活躍して欲しいなぁ。(^_^)By 平山